恋愛が出来ない、あるいは恋愛をしたくないという人が結構な数にのぼるようになった背景には、現実的な社会問題が起因しているのではないかと感じるようになりました。
インターネットが一般に普及して、人間が肌身や感覚で相手のことを知ろうとする感受性が、データの中に埋没して、あまり感受性で相手をとらえる機会が少なくなってきているからと言えるのではないのでしょうか。
しかしバーチャルな出会い系サイトでの恋愛は、感受性が多感な時期、あるいは感受背が優れている人でないと、本来的には楽しめないツールでもあるはずです。
インターネットでの出会いでも、傷つくこともあれば、とても感動するような体験をすることもあるからです。
若い年齢では好奇心が先走って、比較的なんでも受け入れてしまうものです。
自然とかぶれてしまうこともあるのが若い年齢というものです。
恋愛に興味を持ちだすのも、そうした多感な時期といえます。
しかしそんな年齢にさしかかっても、恋愛したくない、恋愛できないと思うということは、感受性が恋愛に関して鈍くなってきているサインなのではないでしょうか。
インターネットによって、情報を得ることは簡単になりました。
すぐ知ることが出来る時代ということができるでしょう。
情報がすぐに手に入ることから、知りたいことをより自分のものにしやすくなりました。
しかし相手が居る恋愛は違います。
相手が居ないことには、自分の中の感情を再発見する機会もないのです。
しかし恋愛に関してあまり関心がなくなってきてしまうと、単純に他者への恐怖心が先立ってしまうのです。
知識を捨てるということも難しいことですが、空っぽの頭で、何も持たずに相手に向かっていくのも時には必要です。
そうした時、恋愛がとても心や体を豊かにしてくれるものだと改めて気づくことになります。
出会い系サイトの恋愛でも、夫婦関係であっても、様々な他の人間関係であっても、機械的に処理できることは本当なら少ないのです。
恋愛したい、結婚したい、そういう願望をいずれ持つことになるのなら、今のうちからそれに見合う訓練をする必要もあるのではないでしょうか。